プロフィールというよりDebian以前の歴史? 1988年4月 なんとなくKMCにはいる。 膳所高校出身だから変なやつに違いないと言われたよーな記憶。 1989年 X68000ACE HD購入。 なぜかKMCの会計になる。 KMCの会計は人格が崩壊すると言われていた。 春までは自宅から通っていたけど(片道2時間弱くらい?) いいかげん面倒になってきたところに安い下宿(15,000/月しなかった)が あるよんという甘言を耳にして下宿をはじめる。夜中に部室にいりびたる ようになる(笑) 1990年前後? はじめて UNIXにさわる。たしか UniOS-Σ その後UniOS-Bをつかう。UniOS-Σと比較して「SystemVステ。やっぱBSD」 と思う。x68k に Unix的ツールを移植したりしてあそぶ。 逆に DoGA tools を UniOS-B に移植したり。 そのうち SS1も借りられるようになる。当時、「むちゃ速いな」 と思った:) これも先輩の作業を横目でみながら、いろいろ 学んでいたような? 1991年夏 院試の勉強の合間に息抜きとして 「4.3BSDの設計と実装」なんかを読みふける:) いつ頃か忘れたけど 研究室でなんかの patch (jdvi2kps対応だったか?)を fj.sources*あたりになげた後(翌日頃?)、作業してたマシンがクラッシュ してかなりせつない気分をあじわう。fj.*になげておいてよかった。 「Internetへのバックアップ(笑)」の重要さを認識する。 研究室のマシンがすくなげだったので バイトな金で PC9801NS/Eを購入。demacs が動くノートが欲しかった。 結局卒論シーズンでは みんながよってたかってログインしている SS1 よりも NS/E の方が快適だったり。 1992年冬〜春 MINIX(98)の i386版がほしいにゃ、やってみるかね と思っているさなか、 世の中にはPCで動くUNIXがあるらしいという噂を耳にする。 どうやら 386BSD という BSD由来のものと、 Linux というやつがあるらしい。じゃあきっと 同じCPUな NEC PC98シリーズでもいじれば動くに違いないね! ということで、ちょっととりよせて見たところ - 386BSD: でかいけど BSDとしてそろっているかんじ buildするのも gcc & GNU binutils でいけそう - Linux: かなり小さいというか kernel + αくらいしかない gcc をつかってるけど bin86 とかいるらしい (が bin86のソースが発見できなかった) 当時 PC/AT互換機は身近になかったため、クロスコンパイル が必須だったため Linux はあきらめる。 つーことで 386BSD(98)やってみることに。 しかしこの頃、i386もPC98アーキテクチャもほとんど知らなかった(笑) 1992年 ゴールデンウィークの頃 京大情報津田研あたりも 386BSD(98)やってるらしいとかいう話。 とりあえず 部室の SS1で クロス開発環境をととのえる。 テストでいろいろコンパイル・リンクしている時に エンディアンの罠にはまる(笑) 1992年夏休み 夏休みに入って本格的に作業にとりかかる。 boot strap まわりと基礎的なdevice driverを書きあげて とりあえず動くようになる。部室の PC98DA および 個人マシンの NS/E でブートに成功する。 IDE HDDは簡単だったので最初に NS/Eでいちおう使えるように なる。SCSIは若干手間取るがこれも動くようになり PC98DA で動作する。386BSD(98) 0.0 ASCIIにNS/Eをもって見せにいく。重かった… そしたら MINIX/98 とかがらみであった NE2098(だっけ? NE2000のPC98版)をかしてあげるよー とかいう話になり 阪大の斎藤先生のところにもらいにいく。 NE2098はI/Oポートの位置をほげるだけであっさり動く。 NFSもできるようになり幸せ:) 386BSD 0.1 ベースにして 386BSD(98) 0.1a できる。 1992年秋頃 SUPER ASCIIのディスク回覧用に若干 bug fix した バージョンを 386BSD(98) 0.1b とする。 その後よせられた様々なパッチとかをとりまとめて 386BSD(98) 0.1c をリリース。バグがみつかったので その直後 386BSD(98) 0.1c2 をだす。 Bill Jolitz に PC98パッチをおくってみたり。 1992年〜1993年 冬? そうこうしている間に部室にあった SS1 がひきあげ られてしまう(借りていたのだ) 主要開発マシンがなくなり 386BSD(98) Projectは一時停止 UniOS-B(m68k 25MHzだったっけ?)が部室のメインサーバに。 リソース不足により Wnn/Canna は消され、SKKが強制される(笑) 最初、ちょっと使いにくいな(その前は mlh とか使っていたので 短かい単位で変換することには慣れていた)と思ったけど 原稿書きあげたりしているうちにすっかり SKK が手になじんでしまう:) その後、KMCの金で SS1 をおもいきって購入。 しかしながらBill Jolitz は家庭の事情(?)で一向に 386BSD 0.2 をリリースしない。Intenet上では patchkit なるものがいっぱいでまくる。これをおいかけるのはかなり大変だ。 fork するのはコストがかかることを身をもって体験(笑) この頃、CVSでソース管理しようと試みるが、CVSがいまいち よくわかっていなかったのと他の人は使ってくれなかったので あまり意味はなかったりした。 そのうち 我慢できなくなった人たちが NetBSD や FreeBSD をたちあげる。 「386BSD(98)X動かねー」とかいう不満がでるが部室では PC98DAなので 640x400。これでX動かしてどうしろというのかという 感じでやる気でず。PANIXの人がきたりしたのもこのあたりか? X動いているのをみせてもらうが遅くて使えねー と思った記憶。 Software Design が部室にきたのはこの頃か? 1993年 春〜夏 まぁ NetBSDの方がよさげかねー とか思いつつ NetBSD(98)をつくってみる。とりあえず動くものは できるがインストーラを作るのが面倒でリリースできない(笑) そうこうしているうちに BSD のライセンス訴訟。 「BSDやばいね」とか思いつつ Linux/98 に着手してみる とりあえず動くようになる。 「NetBSD/x68k もやりたいねー」とかいったりもしながら コプロが入手できず断念(というか入手したコプロがMPUクラッシャー だったらしく、それを差すとMPUが死んだりした) 1993年 秋 NF(11月祭)なんかで NetBSD(98)&Linux/98を展示したよーな 1993年〜1994年 冬 「NetBSD(98)やってるよーん」とかいいつつ修論が終わって 暇になったらやろうとか思っていたが、いざ終わるとやる気が でないで、結局リリースせず京都を去る。←ひどい。 1994年 春〜 就職して東に下る。貧乏な学生時代よ、さらば。 Linux 1.0 がでたりしたので Linux(98)1.0つくったりも するが、この頃にはPC98に移植するのはもう飽きていたり(笑) そもそも PC98ってそれしかなかったから使っていたような ものなので、就職して PC/ATが使えるようになった (SKK swiftμだったかな)この頃にはすでに移植のモチベーションは消えていた。 そのかわりに細川さんが作った APM patch を NetBSD/i386用に ほげったりそんなことしてた。 しばらく Free Software 的にはぼけっとすごす NetBSDやSlackwareを使っていて、 LxBoot なんかもいじっていたような? 1996年 夏〜 Debianに はまりだす。 1997年 秋〜 debian.or.jp 作る頃にちゃんと組織にしないとアレ とかいうのでDebian JP Project副会長になっていたような この頃から IRC 常駐スギ? 1998年 秋頃? Debian Projectに参加 1999年 春〜 日本Linux協会できる。なぜか副会長? いろいろあって(?) Debian JP Project も人事更新。 会長(Project Leader ?)になったらしい # 微妙な前後関係は違うかも:)